耳垢のホントの効用とは?

 皆さんは耳垢が何のためにあるのか考えたことがあるでしょうか。目くそ鼻くそを嗤(わら)うではありませんが、ただの耳くそにすぎないのでしょうか。それとも何らかの必要があって作られているものなのでしょうか。

耳垢は体の他の部分の皮膚の垢とは異なり、外耳道という狭い筒状の皮膚に比較的多量に作られるという特徴があります。ときには耳垢が詰まって聞こえが悪くなってしまうことがあるほどです。音を集めるために耳介(耳たぶ)を発達させながら、その音の通過を邪魔する可能性があるものを、わざわざ外耳道に貯め続けるのにはそれなりの理由があるはずです。

左の鼓膜をかじるゴキブリ

ところで日々診療をしていますと、時々外耳道に異物が入った方が来られます。自然に入ったものもあれば、人為的に入れらたものもあります。また無生物の場合も有生物の場合もあります。有生物のうち最も多いものが昆虫で、小さな蛾や甲虫(こうちゅう)、ゴキブリなどが入り込みます。暖かく暗く湿った環境が虫を誘ってしまう様です。頭部から潜り込んだ虫は前にしか進めないので、鼓膜に突き当たって暴れたり鼓膜をかじったり(!)します。このため人は非常に痛い思いをします。受診時には、既に虫は死んでいる場合が多いのですが、まだ生きていることもあります(右図)。

虫が耳に入るリスクは、虫の多い田舎ほど、また家の隙間が多いほど高くなります。さらに一階の畳の間で布団を敷いて寝ている(頭が地表に近い)場合には特に高くなるようです。人間が住居を持たなかった太古の時代には、その可能性はさらに高かったはずです。偶然入ってくる虫ばかりでなく、もっと小さいダニやシラミなどの寄生虫も耳の中に住み着こうとするので、一層厄介だったことでしょう。

音の受け入れ口である鼓膜は、十分に薄くしておかないとうまく音の震動を奥に伝えられません。紙のように薄く破れやすい鼓膜を外力から保護するために外耳道ができたと考えられますが、逆にこれが虫の侵入経路や住みかとなっては困ります。そこで何らかの虫よけ対策が必要となります。

まず物理的なバリアとして外耳道の入口部に毛を生やすという対策があります。ただし毛を生やし過ぎると見た目が悪い(笑)ばかりではなく、ダニやシラミのたまり場になります。次のバリアとして、耳垢で虫をブロックするという対策があります。東洋人の耳垢は例外的にパサパサと乾燥していることが多いのですが、欧米人や黒人はネバネバした耳垢(軟性耳垢)です。イヌ、ネコなどの動物も軟性耳垢で、これが本来の耳垢の姿です。このネバネバがハエ取り紙の様に虫の羽や脚にからみついて侵入を防いでいます。音は通すけれども虫は通さない、というわけです。

実は外耳道には、アポクリン汗腺から派生した耳垢腺という分泌腺があって、ネバネバのもとを分泌し続けています。その分泌物には細菌やカビの繁殖を抑える成分が含まれていて、容易に外耳炎にならないよう防いでいます。私は、さらに化学的バリアとして、何か虫が嫌うような成分(忌避物質)も耳垢に含まれているのでは、と思っています(少なくとも野生動物では)。というのは、忌避物質を出して虫の食害を防ぐ植物の例はたくさんありますし、野生動物は耳の穴をほじるという様な器用さを持ち合わせてはいないので、耳の中に虫が入らないようにするのは人以上に切実な問題であり、植物と同じ様に忌避物質を耳垢に含ませるのは良い虫除け対策と思われるからです(誰か調べてみて下さい)。

以上のように考えますと、耳垢は必要があって作られているものなので、完全に取ってしまわないほうが良いのではと考えられます。耳そうじをやりすぎて外耳炎になった人は数知れませんし、耳内をいつもきれいにしている人のほうがそうでない人に比べて虫に入られ易いという印象です。ただ、鼓膜を観察しないといけない自身にとっては、その手前にある耳垢は邪魔物以外の何物でもなく、やはり耳垢がないほうが取る手間が省けて助かるのですが…。